「国際社会と近代史の実態を読む」
日本さえも支配する謎の組織
〜FREEMASON & ILLUMINATI〜
フリーメイソンとイルミナティ

フリーメイソンリー、それは実在するグローバル秘密結社です。近年の情報手段の発達により、その存在が一層クローズアップされ始めました。私たちの暮らす社会、それを支える経済、そして政治や近代の歴史。その中でフリーメイソンとはどのような影響力を持つのでしょうか?日本にはペリー総督やマッカーサー等、多くのフリーメイソンが入り込み、日本政府との関係を深めました。彼らの意図とは?この報告書では、その詳細を明らかにしていきます。

初期のフリーメイソン

16世紀のスコットランドで石工(メイソン)たちが作った組織がその基礎となっています。城などの重要な建築物を作る一流のメイソン達が、誰にも知られないように情報交換できるように作られたのです。そして18世紀になり、この組織がロンドンに進出、秘密結社として形を変えていきます。18世紀はアメリカがイギリスから独立した時期でもあります。フリーメイソンリーがアメリカ建国に大きく関わっているのは間違いないのです。

フリーメイソンとイルミナティ、この関係を知る必要があります。フリーメイソンリーはスコットランドで始まり、イギリス、そしてヨーロッパに伝わっていきました。そしてイルミナティはアダム・ヴァイスホープトというユダヤ系ドイツ人によって結成された、フリーメイソンリーの中の特権階級と言える、より秘密性の高いグループです。ヴァイスホープトは1773年〜1775年にかけて何度もフランスを訪れ、ラファイエット侯爵と親交を深めます。ラファイエットはアメリカ独立革命とフランス革命の双方における活躍によって「両大陸の英雄」と讃えられた軍人・政治家で、フリーメイソンです。また彼がジョージ・ワシントン、並びにベンジャミン・フランクリンと仲が良かった事も周知の事実です。

ワシントンはアメリカの初代大統領、そしてフランクリンはアメリカとヨーロッパの間を行き来した政治家、そして武器商人でした。この二人はアメリカ建国に大きく関わった重要人物ですが、いずれもフリーメイソンです。そしてフランスのラファイエットを通してイルミナティを設立したドイツのヴァイスホープトとつながるのです。また独立宣言の草稿を書いたトーマス・ジェファーソンもヴァイスホープトと連絡を取り合っていました。ジェファーソンもフリーメイソンだったと信じられています。ちなみにイルミナティが結成されたのは1776年、アメリカ建国の年です。フリーメイソンの中でも特にイルミナティはアメリカ建国に力を注いだとされています。

アメリカとフリーメイソン

43人いる歴代アメリカ大統領のうち、少なくとも14人はフリーメイソンだったとされています(その他、別の秘密結社に属する大統領も少なくない)。初代大統領のジョージ・ワシントンをはじめ、初期の頃に多かったのですが、彼が統率した議会にも多くのフリーメイソンがいました。また二度に渡る世界大戦の前後にも多くフリーメイソンの大統領が選出されています。

ウィリアム・マッキンリー、セオドア・ルーズヴェルト、ウィリアム・タフト、ウォレン・ハーディング、フランクリン・ルーズヴェルト、ハリー・トルーマンがそうです。

特にトルーマンは実に精力的なフリーメイソン(グランドマスターという位を取得)で大統領在任中、原爆投下の決断をし、戦後はCIA、NSA、国防総省の創設にも関わりました。アメリカが世界を守る、という趣旨の「トルーマン・ドクトリン」を実践、アメリカを朝鮮戦争に参戦させました。

ちなみに第二次世界大戦時のイギリス首相、ウィンストン・チャーチルもフリーメイソンでした。そして1933年から1944年、アメリカ国務長官だったコーデル・ハルもメイソンです。ハルは「国際連合の父」と呼ばれ、国際連合設立(1945年)における功績により1945年ノーベル平和賞受賞を受賞しています。当然、国連に於いてもフリーメイソンの影響力は多大です。

*NSAとはアメリカ国家安全保障局、あのエドワード・スノーデンが働いていた国防総省の諜報機関です。スノーデンはアメリカ政府が世界中で盗聴している等の情報を暴露、それを発表したウィキ・リークスの創始者と共にノーベル平和賞受賞者候補になりました。

そしてアメリカの副大統領に至っては歴代46人中18人がフリーメイソンです。しかし1980年代以降の大統領、副大統領にはフリーメイソンはいないとされています(ジェラルド・フォードが最後)。

100ドル紙幣の肖像で知られているベンジャミン・フランクリンは大統領ではありませんでしたが、アメリカ建国に大きな貢献をしています。ボストン生まれのユダヤ系(と思われるが確固たる証拠なし)アメリカ人です。彼は大使として1770〜80年代にフランスやスウェーデンに赴任しますが、その前から何度もイギリスに渡り、フリーメイソンリーの会議に参加しています。またアメリカの武器をイギリスに売る武器商人でもありました。しかしパリではイギリスからの独立を勝ち取るために、フランスのフリーメイソンと接触していました。

アメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスから贈られた自由の女神像は、フリーメイソンが製作し、贈ったものです。メイソンというのは元々、石工ですから、こうした建造物が得意なのは当然です。そしてその右手に掲げられるトーチ。イルミナティとはイルミネーションと語源を共にする、光を灯す人たちという意味です。自由の女神と呼ばれていますが、イルミナティの存在を誇示する像なのです。

また1ドル紙幣にフリーメイソンのシンボルが描かれている事は広く知られています。その他、米ドル紙幣の肖像は殆どがフリーメイソンです。

リンカーンの元、財務長官であったサーモン・チェイスも1万ドル紙幣(1928年 から1946年まで発行、一般流通はされず)にその肖像が印刷されていました。最初に米ドル紙幣を作ったのは、このチェイスなのです。チェイスもフリーメイソンですが、彼の名を聞くとJPモルガン・チェースが頭に浮かぶと思います。モルガン・スタンレー、チェイス・マンハッタン、ゴールドマン・サックス、シティ・バンクらアメリカ金融界を牛耳っている大物企業は殆どフリーメイソンが創始者です。

ジョージ・ピーボディは、ロスチャイルド家から支援を受け、ジョージ・ピーボディ&カンパニーを設立し金融業を始めます。その共同経営者として迎え入れられたのがジューニアス・モルガンで、のちに彼が代表を引き継ぎ、社名がJ. S. モルガン&カンパニーとなりました。今のJPモルガン・チェースです。

ロスチャイルドの名が出てきたので彼ら一族の関係者も挙げておきます。その代表がロックフェラーとカーネギーでしょう。ロックフェラーはユダヤ系ではなく(但しセファルディ・ユダヤの末裔であるという説もあり〜後述)、ロスチャイルドとライバルだったという説もありますが、調べていくと同じフリーメイソン同士、親密な関係にあるのがわかってきます。ジョン・ロックフェラーはスタンダードオイルの創始者であり、今も一族はエクソン、モービル、シェブロン、シェル、テキサコ、アルコ等、殆どの石油会社の資産を所有している石油王一族であり、同じテキサス出身のブッシュ一族ともつながっています。ブッシュ親子大統領の父親、プレスコット・ブッシュは当時ニューヨーク州知事だったネルソン・ロックフェラーと仲が良かったのです。彼らには石油で巨大な財を築いたという共通点があります。

Wikipedia に以下のような供述があります(ジョン・ロックフェラーに関する説明)。

「ジョン・ロックフェラーは1890年代に入ると鉄鉱山と鉄鉱石の輸送に事業を拡大し、鉄鋼王アンドリュー・カーネギーと衝突するようになり、新聞などで彼らの対立がよく報道されるようになった。大統領に昇格したセオドア・ルーズベルトはシャーマン法違反訴訟をいくつも起こし、議会から改革案を引き出した。1901年、カーネギーの鉄鋼関連資産を引き継いだUSスチールの実権をジョン・モルガンが握るようになり、スタンダード・オイルの鉄関連事業もUSスチールに売却された。この取引を仲介したのはヘンリー・クレイ・フリックで、スタンダード・オイルの鉄関連事業とUSスチールの株式を交換し、ロックフェラーとその息子がUSスチールの取締役に就任している。」

ロックフェラー、カーネギー、ルーズヴェルトは皆、フリーメイソン、又はイルミナティです。また自動車業界ではフォードを設立したヘンリー・フォード、そしてクライスラーを作ったウォルター・クライスラーもフリーメイソン。つまり19世紀期から20世紀の政界、鉄鋼界、鉄道、石油、自動車業界には深くフリーメイソン/イルミナティが関わっていたと言って良いでしょう。

ロックフェラーはオイルだけではなく、テキサス・インスツルメンツ、ジェネラル・エレクトリック、コダックを支配し、裏でボーイングもコントロールしています。フォード大統領の下、1974年から1977年まで副大統領を務めたネルソン・ロックフェラーはジョン・ロックフェラー二世の次男。父方の祖父がスタンダード・オイルの創業者ジョン・ロックフェラー、母方の祖父が共和党保守派の実力者、ネルソン・W・オルドリッチ上院議員。またアーカンソー州知事を務めたウィンスロップ・ロックフェラーはジョンの四男、チェース・マンハッタン銀行のCEOを務めたデイヴィッド・ロックフェラーは五男で末弟。ジェイ・ロックフェラー上院議員はジョン・ロックフェラー三世の子で、ネルソンの甥に当たります。

ネルソン・ロックフェラーの祖父は、彼の一族がトルコからフランスに移住し、最終的にアメリカに移住したと語っていました。その頃にロックフェラーがロスチャイルドから資金を得たと主張する説もあります。「The Grandees - アメリカのセファルディ・エリート」という本にはロックフェラー一族はセファルディ・ユダヤの末裔であると書かれているそうです(セファルディとはスペインとポルトガルのユダヤ人を意味する)。そしてネルソン&デイビッド・ロックフェラーは友人のヘンリー・キッシンジャーをニクソン政権時代の国務長官に押し上げました。そしてネルソンが副大統領に収まったフォード政権下でも、キッシンジャーは国務長官を務めました。

ブッシュとスカル&ボーンズ

アメリカはフリーメイソンが作った国家のようなもので、そしてフリーメイソンの核がイルミナティだと考えられています。アメリカにはその他の秘密結社も幾つか存在しますが、その中にスカル&ボーンズというエール大学に存在する組織があります。1832年にエール大学内にて結成されて、その名簿は大学内で保管されていますが、1982年を機にその名簿を公開する事はなくなりました。スカル&ボーンズはパワーエリートの組織とも言われていますが、それを支配しているのもイルミナティだとも考えられています。つまりイルミナティは幾つもの秘密結社を動かしている影の支配集団である、という説です。

エール大学関係者と政治家が多いこのスカル&ボーンズのメンバーにはブッシュ親子、ジョン・ケリー(現・国務長官)、ジョン・ロックフェラー・プレンティス(ジョン・ロックフェラーの孫)らがいます。この4人はいずれもエール大学出身です。フリーメイソンほどの人数ではないですが、現代のアメリカを語る上では実に重要な秘密結社と言えましょう。ブッシュについてはメイソンではないと考えられていますが、スカル&ボーンズのメンバー、つまりボーンズマンなのです。イルミナティが幾つもの秘密結社を動かしている核であるという説を用いるなら、ブッシュもケリーもイルミナティです。

またジョージ・W・ブッシュ(息子)は大統領時代に副大統領のディック・チェイニーと共に影の政府を作り上げたという説があります。これを唱えているのはセイモア・ハーシュというジャーナリストです。ハーシュはベトナム戦争に於いてアメリカ政府が隠そうとした虐殺を暴露し、ピューリッツァー賞を受賞しています。

ハーシュによると、ブッシュとチェイニーが中心となり、対抗する民主党が何を言おうと、或いは民主党の大統領が選出されたとしても、ブッシュとチェイニーの共和党影響力がアメリカ政府にいつまでも残るように、政府をコントロールする影の組織を作り上げたと言うのです(注釈:2018年頃からその存在が言われているDeep Stateの元となった、とも解釈できます)。そして殆どの新聞社がこのブッシュ/チェイニーの組織に操られているとも主張しています。

ケネディ暗殺

1963年にパレードの最中、頭を撃ち抜かれ白昼堂々、暗殺されたジョン・F・ケネディ。偶然、その瞬間を撮影したザプルーダー・フィルムには、まず後方から撃たれ、その次の瞬間、前方から撃たれる場面が映っています。ところが公式発表はオズワルドの単独犯罪。そしてそのオズワルドも警察署内で一般人に撃たれ、息絶えます。彼は拘束されていた2日間、自分はハメられたと主張し続けました。今も真実が明らかになっていないケネディ暗殺事件。この背後にある組織とは?そしてその動機は?

日本の紙幣は財務省の管理の元、発行しています。国家が紙幣を作り管理する、それが普通であるはずですが、アメリカの紙幣は12の連邦準備銀行が発行しており、それらを管轄しているのは連邦準備制度(Federal Reserve System)という企業体です。その発足は以下のように伝えられています。

「1910年11月22日、ジョージア州沿岸のジキル島にJ.P.モルガンが所有するジキル島クラブで秘密会議が開かれ、連邦準備制度設立について話し合われた。J.P.モルガンやポール・ウォーバーグ、ジョン・ロックフェラーの後ろ盾の下に、1913年、ウッドロウ・ウィルソン大統領が署名し、多くの上院議員が休暇で不在の隙を突いて12月23日、連邦準備制度が成立した。」

この秘密会議とはフリーメイソンの会議だったと言えるでしょう。つまり今日に至るまで、アメリカのお金を管理している連邦準備制度はフリーメイソン達によって設立された、という説が成り立つのです。

その設立に関わったウォーバーグ家(ユダヤ人)も注目するべきで、彼らもイスラエル建国に大きな資金援助をしています。ポール・ウォーバーグの息子、ジェームス・ウォーバーグはフランクリン・ルーズヴェルトの財政相談役でした。またウォーレン委員会の中心メンバーであったジョン・マクロイは弁護士として長年ウォーバーグ家を支えていました。ウォーレン委員会とはケネディ暗殺事件を調査した政府機関です。

ケネディ大統領は1963年6月4日、この連邦準備制度の権限を取り上げ、政府が紙幣を発行する権限を持つ法律に署名しました。そしてその5か月後に暗殺されたのです。オズワルドという偽りの犯人をでっち上げ、その真実を隠し通す事ができるほどの力を持った巨大で、しかも水面下の組織。そして犯人はオズワルドだけだったと結論付けたウォーレン委員会の最高責任者、アール・ウォーレン。彼もずばりフリーメイソンです。

さらに1924年にFBI初代長官に任命され、1972年に亡くなるまで長官職にとどまったジョン・エドガー・フーヴァー。リチャード・ニクソンまで8代もの大統領に仕えたあのフーヴァーも、ずばりフリーメイソンです。

CIAは1950年代から催眠効果や薬物、マインドコントロールによって本人の意志とは関係なく、銃を撃たせ暗殺できるか、という実験を繰り返していました。その実験の映像も残されています。

どう考えても、つじつまが合います。JFK暗殺の5年後に弟のロバート・ケネディまでも暗殺し、それも精神不安定な男の単独犯罪として真相を闇に葬った水面下の組織。FBI、そしてCIAとも通じ、政府を巻き込んでケネディ兄弟を暗殺した巨大秘密組織。それがフリーメイソンと無関係、と考える事の方が無理なのです。

ユダヤ人とロスチャイルド家

ユダヤ人と呼ばれる人々は、世界中で約1300万人。広い教義では誰でもユダヤ教信者になればユダヤ人になれますが、ここでは民族としてのユダヤ人(ユダヤ系アメリカ人等を含む)について説明します。2世紀頃、ユダヤ人はローマ帝国の圧力によって中東地域から追い出されます。その多くはヨーロッパに散っていったわけですが、彼らはヨーロッパ各地で差別に遭います。その最も悲劇的なのがドイツ・ナチスによる迫害です。600万人が殺害されたと言われています。

しかし多くのユダヤ人は資産を築き、その資本を増やしました。特に有名なのがロスチャイルド家です。ロスチャイルド家はドイツ・フランクフルトで開業した小さな銀行から、高利貸しという手を使って財を築いた財閥です。19世紀にはヨーロッパ各国政府を支える通貨金融界のトップになります。今で言えば国際通貨基金のような存在と言えるでしょう。ロスチャイルド家は19世紀において世界一の金持ち一族として君臨し、植民地支配を展開する欧米を中心にその影響力を強めていったのです。

そのロスチャイルドの資産もナチスに没収され大分、影響力は弱まったとも言われています。しかしすでに19世紀に現代のイルミナティ支配の地盤が出来上がっていたのです。

その他、重要なフリーメイソン

コルト製リボルバー拳銃を作ったサミュエル・コルト。銃社会の礎を築いた連中もメイソンだらけでしょう。2012年12月、コネチカット州サンディフック小学校で起きた銃乱射事件を受けて、オバマ大統領とバイデン副大統領が口を揃えて銃規制法の立案を唱えますが、全米ライフル協会の力には勝てず、未だに銃規制問題は棚上げ状態。やはりフリーメイソンの力なのでしょうか。

世界初の太平洋飛行に成功したチャールズ・リンドバーグ。
「トム・ソーヤーの冒険」作者、マーク・トゥエイン。
シャーロック・ホームズの生みの親、アーサー・コナン・ドイル。
アメリカでボーイスカウトを広めたダニエル・カーター・ビアード。ボーイスカウトもフリーメイソンリーの活動を支える組織とされています。
カーネル・サンダース。ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者(1952年設立)。
デニス・ロッドマン、スコッティ・ピッペン、シャキール・オニール。バスケットボールNBAのスターたち。デニス・ロッドマンは北朝鮮に何度も渡航し、キム・ジョンウーとは友人関係にあります。

モーツァルトもフリーメイソンでした。彼の父親も、彼を支えた周囲の多くもフリーメイソンでした。モーツァルトはメイソンに捧げる曲も書いています。その他、リスト、メンデルスゾーン、プッチーニらがメイソンです。

ナポレオンもフリーメイソンだったと言われていますが、確固たる証明はありません。実際にメイソンだったとしても、アメリカ建国時代にはすでに他界しているし、メイソンとしてはさほど影響力は持たなかったのでは?と思います。

その他、重要なフリーメイソン系列企業

アメリカのゼネラル・エレクトリック(GE)。トーマス・エジソンの作った電気照明会社を基に1892年、 ドレクセル・モルガン&カンパニーの助けでトムソン・ヒューストン・カンパニーと合併し、ゼネラル・エレクトリックとなりました。ドレクセル・モルガン&カンパニーはJ・P・モルガンとアンソニー・ドレクセルが共同でニューヨークに設立した会社です。明らかにGEはフリーメイソン系です。

アメリカの映画界と音楽界

クラーク・ゲーブル、ジョン・ウェインら初期のハリウッドスターたちに多くのフリーメイソンがいました。そして現在のスターたちの多くがユダヤ系である事も注目すべきでしょう。マリリン・モンロー、エリザベス・テイラー、ハリソン・フォード、カーク・ダグラス、ポール・ニューマン、ピーター・フォーク、チャーリー・シーン、ダスティン・ホフマン、ショーン・ペン、シルヴェスター・スタローン等々。念のために記述しますが、彼らがフリーメイソンだというのではありません。ユダヤ系アメリカ人だという事です。

映画とは巨大産業でありますが、同時にアメリカの宣伝塔でもあるのです。何せフィルムが完成すれば、あとはそれを世界中で上映するだけ。ジェームス・ディーンがジーンズをはいて恰好良く登場するのを見た観客はアメリカから輸入したジーンズを買い求めるのです。ハリウッド映画にはそうした策略があり、アメリカの経済発展の為に利用されてきました。その基礎を築いたのもフリーメイソンだったのでしょう。

映画会社ワーナーブラザースを設立したハリー、ジャック、サミュエルのユダヤ系3兄弟は皆フリーメイソン。現在ではタイムワーナーという総合メディア企業となっています。そしてCNNもそのタイムワーナーが製作しています。

2011年9月からアメリカの金融界、ウォールストリートの占拠運動が始まりました。私は仕事をしながら一日中、ニュース報道をテレビで見ている(主にCNNとBBC)のですが、ウォールストリート選挙運動は日本のニュースで知りました。それからずうっとCNNに注目していたのですが、CNNではなかなかこの報道をしません(アジア向けCNN報道で、アメリカの番組構成とは多少、違いますが)。ようやくCNNが取り上げた時、2週間くらいは経っていたと思います。そして占拠した若者に聞くのですが、そんな事をして何になるんだ?とか、何か目的があるのか?等々、とても否定的なインタビューをするのです。

元はフリーメイソンが設立した会社のニュース番組ですから、フリーメイソンだらけの金融街を占拠する若者を無視しようとするのも当然でしょう。しかし何故、若者がウォールストリートに座り込んで抗議したか、よく考える必要があるのです。彼らの行動はもっと注目されるべきなのですが、主流メディアはこうした運動を無視しようとします。

その他、MGM、21世紀フォックス、ユニヴァーサル、ディズニーなど、ハリウッド映画業界はフリーメイソン達が立ち上げた映画会社から構成されています。ハリウッド映画とはただの娯楽ではなく、フリーメイソン・イルミナティが力の無い者たちを陰で操り、無関心な人たちがそのまま無関心でいるようにコントロールしている媒体と言えるかもしれません。

アメリカの音楽業界はすでにイルミナティに独占されていると訴え、メジャーレコード会社から離れていくミュージシャンもいるくらいです。また音楽界に於いても実に多くのユダヤ系アメリカ人が成功しています。ボブ・ディラン、サイモン&ガーファンクル、ビリー・ジョエル、バーブラ・ストライザント、ダリル・ホール・・・KISSのジーン・シモンズはイスラエル生まれの生粋のユダヤ人です。最近の業界を見ても、人気が出ているブルーノ・マーズ、アダム・ランバートなど、相変わらずユダヤ系が多いのも気になるところ。

フリーメイソンと女性

またフリーメイソンには女性が殆どいない事にも注目するべきでしょう。実は女性がいないわけではなく別途、フリーメイソンリー女性グループが二つ存在するそうです。しかし事実上、女性はフリーメイソンリーの奥深くには入り込めないと考えた方が正解でしょう。

日本におけるフリーメイソン

日本の近代史を振り返ると、いかに日本の近代化にフリーメイソンが暗躍していたか、わかります。

まずはアメリカが日本に開国を迫ったペリーの黒船。マシュー・ぺリーは紛れもないフリーメイソンです。彼の娘キャロライン・ペリーは1849年、オーガスト・ベルモントという男と結婚しています。ベルモントはロスチャイルド家のカール・マイヤー・ロスチャイルドの妾の子供。ペリーもロスチャイルド家と直接、つながっているのです。

1859年に来日したスコットランド人、トーマス・ブレーク・グラバー。彼がフリーメイソンだったのは間違いないのに、彼に関する多くの書籍でそれは語られません。今も長崎にあるグラバー邸にはコンパスと定規を組み合わせた、フリーメイソンリーのシンボルが刻まれた石柱があります。これはもともとグラバー邸にあったものではなくて、フリーメイソンリーから1966年に寄贈されたものだそうです。

私自身、このグラバー邸に取材に行き、石柱も見てきました。グラバー邸から坂を下ると旧香港上海銀行(今のHSBC)記念館があります。その記念館に入ると様々な書物が売られていました。ここで山口幸彦著『明治維新の大功労者 トーマス・グラバー フリーメーソンとしての活躍』という本を見つけたのです。著者は最後にこう結んでいます。グラバーに関する書物は数多く世に出ているのに、彼がフリーメーソンだった事を言及しているものは、ない。何故なのだろう?と著者は問います。

グラバーは「ジャーディン・マセソン商会」の長崎代理店として「グラバー商会」を設立し、貿易業を営みます。「ジャーディン・マセソン商会」はアヘン戦争で暗躍したロスチャイルド系商社です。その業務の一つは、アヘンの密輸でした。同じロスチャイルド系の「香港上海銀行」は、マセソンなどが香港で稼いだアヘン資金をイギリスに送金するために設立された銀行です。明らかにグラバーもロスチャイルドとの間接的関係があるのです。

グラバーは薩摩・長州・土佐ら討幕派を支援し、武器や弾薬を販売します。つまり彼は江戸幕府を倒した反政府組織(明治維新政府)のクーデターを支援した武器商人だったのです。坂本龍馬は1865年、グラバー商会から7,300挺の洋式銃を薩摩藩名義で買い付けます。これらの銃が長州藩に渡り、薩長和解の契機となります。また上杉宗次郎も薩摩藩名義でイギリス製蒸気軍艦ユニオン号の購入に成功しました。そうやって力を得ていった薩長同盟が江戸幕府を倒したのです。

1860年に来日し、日本の近代歯科医学の発展に貢献、「日本の近代歯科医学の父」と呼ばれるウィリアム・イーストレイもフリーメイソンでした。

1862年、徳川慶喜の政治顧問だった西周(にし・あまね)が、津田真道、榎本武揚らとともに幕命でオランダに留学します。西はオランダのフリーメイソン・ロッジに入会し、日本人フリーメイソンの先駆けとなりました。

簡単にまとめると、アヘン戦争を支えた「ジャーディン・マセソン商会」、その日本代理店「グラバー商会」、そこから武器を買った坂本龍馬、そして薩長同盟が江戸幕府を倒し、明治維新が起こるという流れが見えてきます。そして敗戦後1945年から1952年の間、日本はアメリカの統治下にありました。その占領政治のトップだったダグラス・マッカーサー元帥もフリーメイソンです。今の日本はその歴史の延長上にありますが、その歴史の裏にはロスチャイルド系組織、フリーメイソリーの影の支配があったと言って良いでしょう。

幕末から明治維新。フリーメイソンを中心に、その動きを年代ごとに簡略列記します。

1853年 黒船来航(ペリー=フリーメイソン)
1854年 日米和親条約締結、事実上の開国
1859年 トーマス・グラバー(フリーメイソン)来日
1860年 勝海舟を含むアメリカ使節団派遣、桜田門外の変
ウィリアム・イーストレイ(フリーメイソン)来日
1962年 徳川政治顧問の西周(後にフリーメイソンとなる)が、津田真道、榎本武揚らとともにオランダ留学
1863年 薩英戦争、攘夷戦争勃発
1865年 坂本龍馬がグラバー商会から武器購入、更にグラバーの手引きで薩摩藩の五代友厚、森有礼、寺島宗則など17名がイギリスに密航留学
1866年 薩長同盟設立
1867年 坂本龍馬・暗殺、大政奉還
1868年 江戸開城、明治元年、江戸を東京と改める(明治維新〜文明開化)

グラバーは明治維新後も造幣機械輸入に関わるなど明治政府との関係を深めます。そして三菱財閥の相談役に収まり、更に麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)の基礎を築きました。つまり三菱財閥の創業者・岩崎弥太郎(と弟の弥之助)とグラバーは密接な関係にあり、その岩崎がグラバーの助言により、麒麟麦酒を設立したのです。

今も日本経済の10〜15%はフリーメイソン系、ユダヤ系が動かしていると考えられています。三菱のシンボルは定規でひいた三角やピラミッドをシンボルとするフリーメイソンを思い起こさせます。また三井もフリーメイソンとの関係が囁かれています。2014年12月、三井住友銀行はアメリカのシティバンク銀行(前述フリーメイソン系銀行)の個人向け事業を買収することで合意しました。三菱、三井といった財閥系銀行がフリーメイソンと深い関わりがあるのは間違いないでしょう。

政界においては日本の外交官として初めての海外派遣大使となった林董(初代駐英大使)が1903年、イギリスのエンパイア・ロッジにてフリーメイソンに入会しています。彼はフリーメイソンになった事で、様々な国で真の友達に巡り会えた、と関係者に語っていました。

しかし第二次世界大戦に突入すると日本政府はフリーメイソンに対する圧力をかけ始め、日本におけるフリーメイソンの活動は困難なものとなります。ところが戦争が終わり、マッカーサーが来日すると一変して日本政府はフリーメイソンとの関係を深めるのです。

1945年8月17日、終戦直後に東久邇宮(ひがしくにみや)が内閣総理大臣に任命されました。日本の降伏宣言に受け入れられずにいる陸軍を武装解除し、終戦手続を円滑に進めるためには、皇族であり陸軍大将でもあった東久邇宮がふさわしいと考えられたためです。東久邇宮は最初、迷っていましたが、昭和天皇に懇願されて意思を固めたと言われています。その戦後の最初の総理大臣、皇族出身の東久邇宮は1950年、フリーメイソンリーに入会しています。

1954年から3年間首相を務めた鳩山一郎、そしてその孫、鳩山由紀夫(元首相)と鳩山邦夫(元・総務大臣)がフリーメイソンである事は周知の事実です。

1940年、駐イタリア日本大使を務めた佐藤尚武もフリーメイソンでした。彼は戦後、参議院議長等を歴任、第二次世界大戦末期のソ連対日参戦当時の駐ソビエト連邦大使でもありました。

1947年に参議院議員就任、1951年に通産大臣を務めた高橋龍太郎もフリーメイソンです。彼は「日本のビール王」と呼ばれ、アサヒビールやサッポロビールの社長や役員を務めました。またプロ野球チーム、高橋ユニオンズのオーナーであり、第3代日本サッカー協会会長(1947年〜1954年)でもありました。戦後初の天覧サッカー試合となった1947年の東西対抗戦にて、高橋は昭和天皇、並びに皇太子明仁親王をグラウンドへ先導、試合終了後に天皇と皇太子が両軍選手たちをねぎらう場面に立ち会っています。また同年、日本商工会議所会頭に就任しています。

高橋龍太郎の長男・吉隆も、東京帝国大学卒業後、住友銀行副頭取を経て、アサヒビール入りし、1971年〜1976年まで社長を務めました。住友銀行とフリーメイソンの関連はすでに述べています。また、日本におけるビールの普及にはフリーメイソンが深く関わっています。アサヒ、キリン、サッポロはフリーメイソンリーとの関係を否定できないはずです。

河井彌八(かわい やはち)は、1926年に内大臣府秘書官長となり、1930年から7年間にわたって皇后宮大夫兼侍従次長として昭和天皇・香淳皇后の側近として仕えました。1955年、鳩山一郎とともにフリーメイソン第二階級に昇進しています。

この東久邇宮、更に高橋、河井らの関係から皇室とフリーメイソンが無関係ではない事が推測されます。またマッカーサーは昭和天皇がメイソンリーに入会する事を切望し、手を尽くした、という話しも残されています。

三島通陽(みしま みちはる)。貴族院議員・参議院議員も務めましたが、彼はボーイスカウト日本連盟・初代理事長だった事で知られています。彼ももちろんフリーメイソンです。前述しましたがボーイスカウトはフリーメイソンによって結成され、マッカーサーもボーイスカウトの日本普及に力を入れました。また彼の父は第8代日本銀行総裁を務めた三島弥太郎です。日本銀行もフリーメイソンの関わりが囁かれています。

幣原喜重郎(しではら きじゅうろう)。1945年〜1946年に内閣総理大臣を務め、1949年〜1951年までは衆議院議長でした。彼はフリーメイソンリーに入会したかったけど、それが叶わなかった、との逸話が残っています。前述の林董・駐英大使から話を聞かされ、入会を希望しましたが時期が戦時中だったため、日本政府が許可しなかったようです。しかし彼はマッカーサーが日本を統治し、フリーメイソンの浸透を助長させたことを歓迎するコメントを残しています。

松本滝蔵 。鳩山政権時の内閣官房副長官(1954年〜1956年)。マッカーサー後援の日米親善野球の日本側委員長を務めました。1950年にメイソンとなっています。

その他、西原正(防衛庁防衛研究所第一研究部長)、天谷直弘(電通総研所長)、宮沢喜一(元総理大臣)、向坊隆(日本原子力産業会議会長 日本工業教育協会会長)、石川六郎(鹿島建設名誉会長、日本商工会議所名誉会頭)、緒方貞子(国連難民高等弁務官)などがフリーメイソンです。

今ではフリーメイソンと関わりを持つ政治家は少なくなったと言え、アメリカと自民党の従弟関係が続いている状況が変わらない中、フリーメイソンが頭に描いた一種の日本改造計画は着々と進められている、と言っても大袈裟ではないと思います。

日本の代表的フリーメイソン、鳩山家

1954年から首相を務めた鳩山一郎は自由党と民主党の合併を成し遂げ、自由民主党を結党し、自民党の初代総裁となりました。つまり自民党の生みの親なのです。その孫の鳩山邦夫(2016年死去)は自民党出身ではあるけれど、民主党副代表を務めた時期もありました。彼は「友人の友人がアルカイダだった」「ペンタゴンにはいつもご馳走になった」「SMAPのメンバー草g剛は最低の人間だ」等の発言で物議を醸しだした人物です。

鳩山由紀夫も自民党出身ではありますが、1993年、自民党を離党し、「新党さきがけ」を結成、更に1996年に菅直人、弟の邦夫と共に旧民主党を結党し、菅直人と党共同代表になります。1998年、民主党を再編結成。幹事長代理に就任、1999年からは民主党代表に就きます。そしてご存じのように2009年、内閣総理大臣に就任するのです。その後、一度は政界から引退しましたが、2015年頃から非公式に政治活動を再開しました。

政治家としては資質を問われる鳩山邦夫が自民党復帰を果たし、総務、法務、労働、文部省にて各大臣を歴任、彼は今も衆院議員を務めています。しかし民主党を率い、総理大臣にまで出世、米軍普天間飛行場の県外移設等の構想を打ち出すなどしてアメリカに反旗を翻した鳩山由紀夫が一度は政界を追われたという事実。同じフリーメイソンでも明暗を分けました。

アメリカと野球、そして原発

今は再び、アメリカの言いなりになる自民党が政権を握り、アメリカとの関係を深めています。全てはフリーメイソンの計画通りでしょう。例えば何故、アメリカの国技である野球がここまで日本に広まったのか、考えてみる必要があると思います。最初のアメリカ野球チームの来日は1908年です。この初戦(対早稲田大学)では大隈重信が始球式に参加しています。最初から政治的目的があったはずです。

1913年にはニューヨーク・ジャイアンツとシカゴ・ホワイトソックスの2球団が、日本、中国、オーストラリア、エジプト、フランス、イギリスなどを訪問して試合を行いました。この時点ではまだターゲットは日本だけではありませんでした。

1931年、読売新聞社・正力松太郎社長が全米選抜チームを招き、初めて読売新聞社主催により開催されます。翌1932年には「ロイヤル・ジャイアンツ」が来日。1934年にはとうとう野球の神様ベーブ・ルースを含む、全米オールスターチームが来日します。この年の日米野球をきっかけとして、日本初のプロ野球チームである「大日本東京野球倶楽部(後の読売ジャイアンツ)」が結成されました。この時点でアメリカは野球普及作戦のターゲットを日本に絞ったようです。日本人が野球を受け入れたから、という理由もあるのかも知れませんが、日本においてアメリカの影響力を絶大なものにする政治目的があったはずです。

20世紀当初、イギリス大英帝国が主にインド、アフリカ、中東、香港などを植民地に収め、フランスがベトナムを含むインドシナやアフリカを支配していました。またスペインとポルトガルはそれ以前から南米をラテンに変えていました。アメリカは植民地をあまり持ちませんでしたが、この当時、フィリピンを手中に収めていました。

18世紀に起こった大事業の中で特に目を見張るのが海底ケーブルの敷設です。人類初の海底ケーブルはイギリス・フランス間、ドーバー海峡にひかれたもので完成が何と1850年。ペリー黒船来航の前です。イギリスは1880年頃までにロンドンを起点としてブラジル〜南アフリカ〜インド〜オーストラリア、つまり植民地の間を海底ケーブルで結び、通信を行っていたのです(当時は電報)。それに遅れたアメリカも1903年にサンフランシスコからハワイ、グアムを経由して植民地であるフィリピンまで海底ケーブルを敷設します。そして1906年に上海まで到達、更にグアムから東京まで海底ケーブルを引きました。

アメリカはまずフィリピンを支配し、そしてその次のターゲットを日本に絞ります。海底ケーブルを日本まで引く事でアメリカ人同士のコミュニケーション手段が確立され、多くのアメリカ人、特にユダヤ系、そしてフリーメイソンが19世紀の後半から20世紀初めに来日しました。そしてアメリカを象徴するスポーツである野球普及にも力を入れたのです。

しかし日本はアメリカに対し戦争を仕掛けてしまいます。しかもユダヤ人に恐れをなした軍部がドイツと手を組むのです。しかしアメリカにとっては想定内だったでしょう。最終的に東京大空襲、原爆投下などで日本を徹底的に叩き潰します。そしてフリーメイソンのマッカーサーに日本再生を託すのです。日本を植民地にするのではなく、影で操り、日本人に知られないようにアメリカ主義を浸透させる、それがペリー来航以来の大きな目標だったのでしょう。

アメリカは日本に原子力発電の開発と利用を迫ります。1954年、ビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸が被爆しました。原子力反対の声が叫ばれる中、読売新聞社・社主であった正力松太郎が原子力推進の一大キャンペーンを行い、アメリカの「原子力平和利用使節団」を日本に招いたのです。この経緯についてはCIA関連の機密文書によって、正力がその政治力拡大と原子力利権確立のため、CIAに接触した事が明らかになっています。1931年、アメリカ野球チームを招聘したあの正力松太郎です。

1950年代、原発関連施設導入に於いてアメリカ製とイギリス製の二つの選択がありました。正力は原子力委員会の委員長となり、イギリスからの原子炉を三菱商事経由で納入し、財界がその運用する事になったのです。しかし問題が多く発生し、すぐにアメリカ製の原子炉を使用する事になります。1960年代に科学技術庁長官に就任した中曽根康弘が熱心に原子力発電を推し進め、アメリカからの設備を導入する事になります。東京電力は1966年、福島県大熊町に東芝・日立・GE社の軽水炉を完成し、原子力発電の運用を開始しました。アメリカのGE社(ゼネラル・エレクトリック)が大きく絡んでいるのです。

こうして危険性が高いという問題が未解決のまま、そして核廃棄物処理問題も棚上げのまま、日本には数多くの原発が建設されていきます。その立役者は正力であり、中曽根をはじめとする自民党であり、三菱重工、鹿島建設、GEなどです。原発の発展とフリーメイソンを直接、結び付ける材料は少ないのですが、アメリカが日本をコントロールしていく過程において注目すべき歴史的事実でしょう。

ロッキード事件

1976年に発覚したロッキード事件。全日空旅客機導入選定に絡み、前内閣総理大臣の田中角栄と二人の高官が収賄、贈賄などの罪で逮捕された事件です。さらに、全日空社長の若狭得治以下数名の役員及び社員、ロッキードの販売代理店の丸紅の役員と社員、右翼の大物と呼ばれ暴力団やCIAと深い関係にあった児玉誉士夫や、児玉の友人で「政商」と呼ばれた国際興業社主の小佐野賢治が次々と逮捕者されました。また、関係者の中から多数の不審死者が出るという、戦後最大の疑惑・贈賄事件です。

ロッキードが全日空をはじめとする世界各国の航空会社に自社機を売り込むため、各国政府関係者に巨額の賄賂をばら撒いていた事が明らかになったのです。全日空へ30億円、児玉へはコンサルタント料21億円、当時首相だった田中には5億円の賄賂が渡ったとされています。

ロッキードはアイルランド系のアメリカ人、アラン・ロクヒードとマルコム・ロクヒード兄弟によって1913年に創設されています。戦前から軍用機を製造していましたが、この時代、ジェット化の波に乗り遅れてしまい、民間機市場ではボーイングとマクドネル・ダグラス(MD)から大きく離されていました。そこで民間機市場での売り込みに必死となり、日本政府や全日空関係者に賄賂をばらまいたのです。

ボーイングは広島・長崎へ原子爆弾を投下したB-29を製造した会社です。ボーイングとMDはかつてライバル関係にありましたが、1996年、MDはボーイングに買収されます。現在の民間旅客機市場は@ボーイング社Aエアバスが占めています。そしてロッキードは21世紀になってイスラエルとの関係を深め、現在は主にイスラエル軍の戦闘機を製造しています(Lockheed Martin Israel Ltd) 。

ボーイングは前述したように、ロックフェラーがコントロールするイルミナティ系。つまりロッキードはロックフェラーに潰され、民間旅客機市場に入り込む事が出来ず、そして日本は利用されたのです。ロッキード事件によってボーイングのライバルはマクドネル・ダグラスのみとなり、そのマクドネル・ダグラスもボーイングに買収され、ロッキードはイスラエルに乗っ取られ、イスラエル軍のお抱え軍事企業となっていきました。ロックフェラーはもちろんイスラエル建国の大きな立役者。1930年代に作られたパレスチナ考古学博物館(西エルサレム)が、今はロックフェラー博物館という名で呼ばれています。

ロッキード事件の発端は極秘資料がアメリカ上院外交委員会に誤配された事で発覚した、と言われています。つまり偶然見つかったと。しかし当時のアメリカの大統領はフリーメイソンであるフォード、そして副大統領がネルソン・ロックフェラー、更に国務長官はキッシンジャーでした。キッシンジャーについては今更、説明の必要もないと思いますが直系ユダヤ人で、ロックフェラーとは深い繋がりがあります。ホワイトハウス在住記者ジュリー・ムーンがキッシンジャーに「ロッキード事件はあなたが起こしたんじゃないんですか?」と問いただしたところ、キッシンジャーは「もちろんだ」と答えたという記録が残っています。

ロッキード事件の裏にもフリーメイソン/イルミナティ〜イスラエルの影が見えます。

ISIS(イスラム国)に殺害された後藤健二さんについて

2015年1月、ISISに殺害された後藤健二さんですが、ISISが発表した映像、そして音声でも Kenji Goto Jogo と名乗っています。Jogo というのは彼の奥さん、城後輪子という人の名前です。城後輪子さんは東大卒、JICAの職員で緒方貞子さんの秘書でした。緒方貞子は元JICAの理事長、そして上智大学の名誉教授です。上智はもちろんキリスト教の大学ですが、緒方さん本人もクリスチャン、そして後藤さんもクリスチャンです。JICAはご存じの通り、独立法人ではあるけれど管轄は外務省です。そして緒方貞子はフリーメイソンです。

後藤さんは城後輪子さんに婿養子として入籍しています。だから戸籍上の名前は城後健二となるはず。後藤さん自身は割と普通の家系と思いますが、あの緒方貞子の秘書だった超エリートの奥さんに婿養子入りしているのです。

彼はジャーナリストとしてシリア等の中東地域に入っていますが当然、城後側(JICAから)からのサポートを受けているはずです。しかしそれは明らかにされていないのです。メディアも後藤さんのお母さんやお兄さんは取材に行ったのに、奥さんは取材しませんでした。子供がいる事を配慮してというのが、その理由ですが、明らかにそれだけではないでしょう。奥さんがJICAの人間で緒方貞子の秘書だったという事実を世間に知らせたくないのです。
後藤さんが人質に取られているのが発覚した後、現地対策本部がヨルダンのオマーンに設置され、中山康秀外務副大臣がその対応に当たりました。中山はイスラエル友好議員連盟議長です。彼の父親、中山正暉もイスラエル友好議員連盟の元幹事長でした。中山は親子二代に渡ってイスラエル支援者なのです。

これらの事実が何故、隠されているのか?メディアもジャーナリストもここまで深く掘った取材をしません。だから私はこうした事実を訴えているのです。ちなみに、緒方貞子は2007年11月、デイヴィッド・ロックフェラー来日時に回顧録出版記念パーティーの発起人を務めています。

フリーメイソン、アメリカ、そしてイスラエル

この報告書が辿り着く結論、それは私の活動と大きな関わり合いがあります。私は1981年から15年間、アメリカに住み、日本においても演奏活動とビジネスを展開、様々な国の大使や外交官と付き合ううち、中東を行き来するようになりました。80年代から中東アラブ世界に興味があり、注意深く世界を見てきました。イスラエルとパレスティナの問題は考えれば考えるほど、知れば知るほど、納得がいきませんでした。何故、イスラエルがパレスティナを占領し、多くの一般人を爆撃によって殺し、それでもアメリカはイスラエルを弁護し続けるのか?しかしそうした疑問が全て解消される説にたどり着きました。アメリカとイスラエルはともにフリーメイソン/イルミナティによって作られ、この結びつきは想像以上に固い、という結論です。

ここまで読んでいただけたらそれが理解できると思います。アメリカとイスラエルはいずれも他民族の土地を奪い、元々住んでいた人たちの権利を否定し、富と権力を確立していった国です。その方法論が同じなのも、全て納得がいきます。フリーメイソンはアメリカとイスラエルを建国に深く関わり、日本さえも飲み込み、今も知られないように世界を操っています。しかしこの情報社会の発達によってその真の姿が暴露されつつあります。

イスラエルはまさにやりたい放題です。2014年の夏も50日間もの間、ガザ地区を攻撃し続け、2,200人以上の市民を殺戮しました。そして国連機関の学校や病院も爆撃するなど、良心のかけらもないような行為に、世界中で非難の声が上がりました。間違いなく戦争犯罪が行われたというのに、アメリカは目て見ぬ振りです。イスラエルとの関係はそこまで深いのです。アメリカ議会にてロビイストが暗躍しているから、などという生易しいものではないでしょう。フリーメイソン/イルミナティ、そしてユダヤ人、この関係が分かれば真実が見えてきます。彼らは世界を裏で支配しているのです。


あとがき

1963年、第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが暗殺されてから50年以上の月日が流れました。この暗殺は一人の男による単独犯行と結論付けられましたが、多くの疑惑が残されました。その後、発表された映像等の資料を見ても、オズワルドの単独犯行だったとする結論にはアメリカ国民も納得していません(ある調査では90%が単独犯説を否定)。

アメリカという大国の大統領が、多くの市民の前で暗殺されたというのに何故、誰もが納得できない捜査結果が覆される事がないのか?私はケネディ暗殺の年、1963年に生まれました。そして18歳の時、アメリカに移り住んだのですが、このケネディ暗殺の謎には大いなる興味を持ってきました。かつてはジャーナリストを目指し、中東問題にも大きな関心を寄せていました。いつしかそうした政治問題を歌にし、発表するようになったのです。

私がアメリカで音楽活動をしていた20代の頃、幾つもの日本の大手レコード会社が私にアプローチしてきました。しかし政治的な歌詞を書いているうちはレコード契約を結ばない、という事を言われ続けました。もちろん私はそんな条件を飲む事はなく、自分の主張を歌にして世界に訴え続けたのです。アメリカではインディーズ・レーベルから作品を発表していました。

1996年に帰国してから、日本の音楽業界に身を置きながらも、全く主張のない骨抜きの音楽界に嫌気を差し、業界を離れます。今は独自のレーベルにて作品を発表し続けています。2014年に「PALESTINE ON MY MIND」というCDを発表し、実際にパレスティナに行き、各地で演奏をし、そして自主制作CDを無料配布しました。このCDにはパレスティナの人々に捧げた曲が収録されています。全編英語の歌詞はかなりストレートで、メジャーレコード会社の所属アーティストには書けないものでしょう。

かつてケネディ暗殺事件の結論に疑問を抱き、近代史を学び、中東問題を研究し続け、そして中東に於いても音楽活動、平和活動を行ってきました。世界を知れば知るほど、一つの説が私の脳裏にこびりついて離れなくなってきたのです。その説をより深く考察すればするほど、世の中の仕組みや歴史が理解できてきました。

しかし私は誰かを非難しているわけではありません。私は反イスラエルでも反アメリカでも、反ユダヤ人でもありません。私は世界中の人々と兄弟であり、友人です。またフリーメイソン(或いはアメリカ)のおかげで日本がこれだけ経済発展を遂げたのだと信じていますし、そういった意味では彼らには感謝しています。ただこれ以上、世界で戦争が続き、罪のない人々が殺される状況を見過ごす事ができないだけです。人々が真実を知り、行動すれば、この世から戦争はなくなります。

人類は今、深刻な環境問題とも直面しています。地球温暖化は本当に深刻な問題なのです。人類が繁栄し続け、地球がいつまでも青い星であるためには、人間がより進化する必要があります。テレビや雑誌は真実を伝えず、歴史書は表面上の出来事しか触れず、このままでは人々は無知のままです。無関心でいる人々が気づかないまま、刻々と地球は破壊されているのです。このままでは未来は相当、厳しいものだと言わずにいられません。

私はこの報告書を自費で配布します。本を書いてお金を儲けようとは思っていません。今年、2015年はパレスティナ国家承認署名運動を実施しますが、人は何故そんな事をするのか?と問います。しかしこの報告書にはその理由が明確に記されています。ただパレスティナに同情し、やみくもに支援しているのではないのです。人類の近代化を裏で操作してきたフリーメイソンたち、そして彼らが他人の土地に一方的に入り、建国したアメリカとイスラエル、その犠牲になっている人々、それがパレスチナ人なのです。アメリカの恩恵を受け、経済大国となった日本にはパレスティナ問題を平和的に解決させる責任があると言っても大袈裟ではないでしょう。

最後に2014年から歌い始めた曲の一節を紹介して、締めくくりとさせていただきます。

I’d Love To Change The World (Ten Years After)より

I’d love to change the world.
But I don’t know what to do.
So I leave it up to you….

世界を変えたい、そう私は願っている。だけどどうしたらいいかわからない。だから君に託すよ・・・。

自分はどうしたらいいか、わからないから君に任せる・・・。一見、これらの言葉は無責任のようにも聞こえます。しかし本当に無責任な人間は人に対してああしろ、こうしろ、と言うだけなのです。人に対して自分の意見を押し付け、行動を強制する、これが一番の無責任です。自分でやるだけの事をやって、後は人に託す。強要する事無く、結果を期待するでもなく・・・。それが私のスタンスです。無責任のようで責任のある行動だと私は信じているのです。

この報告書を読んであなたがどう思うか、どう行動するか、私は何の強要もいたしません。ただ事実は今、あなたの頭の中にあります。

So I leave it up to you….

Nikki Matsumoto         2015年筆


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