人間本質の理論 二「帰属意識」
人は産まれてくるとまず、母親と対面する。勿論、まだ目が見えないとか、認識できる対象物が希少だとかあるが、まず原点は母親である。やがて他の家族のメンバーも赤ん坊の日常に入ってくる。やがて言葉を発するようになり、そこから世界が広がる。近所の人達にも可愛いがられるようになり、家族からコミュニティへと、世界感が広がる。
幼稚園に行くようになると、人としての成長が見て取れる。自分の意思で判断ができるようになる。対等である他の園児との人間関係を築く。やがて小学校に進学する。そこでは地域社会との関わりを学ぶ。地域の歴史を勉強し、そのコミュニティへの帰属意識が芽生える。またこの頃、喧嘩をすると、お前の母ちゃん、でべそ、などという中傷を受けたりする。これは実に的を得た帰属意識への攻撃だ。原点である母親の中傷は心を傷付ける。
中学校に入り、社会への進出が始まる。高校では生まれ育った地域を出て、より広い地域への帰属意識が生まれる。大学まで行くと、その広がりは増す。そしていよいよ社会人として独り立ちする。しかし多くの人々にとって、帰属意識はそれ以上の広がりはない。
不思議な現象が起きる。例えば高校野球の甲子園大会。埼玉県出身のあなたは、県の代表高の春日部高校を応援したくなる。春日部には全く縁がなく、その高校の関係者も一切、知り合いはいない。だけど自分が生まれ育った埼玉県の学校だから、という理由で春日部高校を応援するのである。
何故なら、あなたの心には自分の住む地域への帰属意識があるからだ。
これがサッカーのワールドカップやオリンピックになると、更なる帰属意識が高まる。日本という一括りで、民族の誇り、日の丸を背負って等の意識が頭を占有する。ここまでくるとあなたは完全な操り人形となる。そこで人間としての成長が、完全に止まる。そして世界の他の民族に対するライバル意識が芽生え、まるで日本人が世界最高の民族であるかのような、気持ちになったりする。
そこで陥る第一の落とし穴は右翼的思想だ。しかし右翼までいかなくても、多くの人々は洗脳されていく。
しかし、それに侵されない人間も存在する。私もその一人だ。18歳で単身アメリカに移り住み、世界を見てきた私にはそうした帰属意識がない。あるのは人類全てへの帰属である。民族、国家、性別、社会的地位・・・。私には何もかもが意味を持たない。私にとって世界の人々、全てが家族であり、兄弟である。世界の全ての人が幸せになれるよう、尽くす。だけど自分は目立たなくて良いのだ。
昨今、流行とも言えるような政治批判。だけど、ここで述べた愚かな帰属意識の殻から抜け出せない政治家に期待し続ける事に意味はない。政治家を頼りにして、期待が裏切られたからと言って、悪口を言い、実際に行動を取らない・・。それでは世界は変わらない。もはや現状の民主主義は沸騰点に達し、資本主義には火がついている。権力者は一般人を操り、格差は拡大する一方。冷静に分析すればこうなるのは目に見えている。
「人間本質の理論 一」でも説明したが、政治というのはもはや、機能していないのである。何故だろうか?まず、政治家は国益を優先しなければ国民からの支持を得られない。政治集会に集まるのは投票権を持った日本人だけで、外国人は度外視される。国益を優先するためにグローバルな視点が失われ、その結果、右翼化するのである。今や世界中でこの兆候が見られる。投票によって政治家が選ばれるという間接民主主義はもう機能せず、分裂だけを生む。これも予測していた通りだ。
話が少しずれるが、何故、日本人は中国人と良い関係を築けないのか、少し考えてみる。まずは地図を思い浮かべて欲しい。中国は大陸であり、北・東西は陸地で囲まれている。これだけ広大な国ではあるが、領海は小さい。何故なら沖縄や尖閣諸島、そしてフィリピンがあるからである。一方、日本は広大な領海を持つ。本州から1,800 km離れた南鳥島まで持っている。更なる領海拡大を試みてハワイを攻撃したのだがアメリカには勝てなかった。だけど今も太平洋側に広大なる領海を持っている。
ところが13億人を擁する中国には海が少ない。それで必死になって海洋権を主張している。将来、これだけの国民を食わすために漁業権や海底資源が必要だからである。日本には1億人強を養える十分な領海がある。それなら相手のことを考えてあげて、権利をうまく分配すれば衝突は起こらず、全て平和的に解決できるのである。国の代表者が相手の国の立場を理解し、話し合えば良い、それだけのことである。ところが国益云々で頭がいっぱいの政治家にはそこまでの思いやりがない。相手の立場を理解せず、ただ批判するだけだ。そのおかげで我々は馬鹿馬鹿しい領土問題に巻き込まれる。そして人間の本質について理論を組み立てたこともないであろう、愚かな連中が右翼化し、何度やっても選挙で同じ結果が出る。これが間接民主主義の行き着く果てである。
人間本質の理論 三
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