ベイスターズ暗黒時代とマネーボール |
2011年11月、横浜DeNAベイスターズが誕生した。これでベイスターズの暗黒時代の終わりが来ると信じている。それを記念して私自身の野球関連サイト
Rockin'Baseball を7年ぶりに更新し、URLも変えて再スタートしようと思い立ったのである。巷ではブラッド・ピット主演の映画「マネーボール」が封切られ、オークランド・アスレティクスのGMビリー・ビーンが打ち立てたチーム構築理論が一般にも知られる事になる。そして来春、そのアスレティクス(以下A's)が来日し、東京ドームで開幕戦を行う。 そうした一連の動きがあり、今では野球ファンとは付き合いのない私ではあるが、野球ファンに何かを訴えたい気持ちが芽生え始めた。その何かとは・・・ 第1章 石井琢朗の功罪 第2章 マネーボール 第3章 横浜DeNAベイスターズ 以上、3つの章に分けて解説をしてゆきたい。 2011年11月13日 シピン3世 |
第1章 石井琢朗の功罪
私は1996年の秋にアメリカから帰国した。子供の頃から熱心な大洋ホエールズ・ファンであったが、15年振りに日本に帰ってくるとベイスターズというチームに代わっていた。しかしやはり子供の頃に応援していたチームであり、愛着があった。再びプロ野球を見るようになってからはベイスターズ一筋である。97年に見たのは若手が台頭し、力をつけたベイスターズだった。チームは2位に躍進し、そして98年には優勝するのである。38年振りの事だった。
98年のベイスターズはまさに思い描いたようなチームだった。しかしチーム内では問題が起きていたのも知っている。元凶は97年に2位に躍進したのに大矢監督を更迭した事だった。チームの若い選手に人気のあった大矢だったが、彼では優勝は難しいとフロントが判断したのである。しかし監督の人選に時間が掛り、97年の秋季練習に間に合わす形でバッテリーチーフコーチだった権藤さんが昇格した。
しかし彼は一風変わった監督だった。周りに「監督」とは呼ばさず、「権藤さん」と呼ぶように指示していた。選手・スタッフ一同だけでなく、取材陣も対象とされ、監督と呼んだら罰金1,000円を課したのである。戦術的にも、送りバントは相手ピッチャーにアウトを献上するだけなので好んで使わず、ピッチャーには2ストライクと追い込んだ後、なぜ1球外すのか、と3球勝負をしないバッテリーに苦言を呈した(これは今も谷繁のリードに受け継がれている)。また「投球フォームはその投手の主張」が持論で、フォームにはほとんど口を出さなかったと言う。
さて、これらの事は日本では特異だが、アメリカでは普通である。MLBの監督は選手やマスコミにでさえ名前で呼ばせる。選手が監督にトニーとかジョーと名前で語りかける。フォームに関しては
"Don't fix it unless it is broken" というのが基本的な考えで、余程の事がない限りフォームを変えさせたりはしない。また送りバントも日本のように多用せず、攻撃は最大の防御という通念でアグレッシブな野球が普通である。
権藤さんは何故、アメリカン・スタイルの野球を貫いたのか?答えは簡単である。彼は日本のプロ野球を引退した後、アメリカ・フロリダ教育リーグでコーチをした経験があるからだ。そこで学んだ本場の指導法を用いたに過ぎない。
さて、こういう事を言うと、ここは日本だ、アメリカとは違う、なんて事を言い出す子供じみた野球ファンもいる。しかし野球はアメリカのスポーツであり、アメリカ人との関わりのないプロ野球はあり得ない。
以下、WikiPediaより
〜権藤が監督を務めている間、大活躍を見せたロバート・ローズに「最高のボス」と慕われている。ローズは毎年のように自分に取って代わる外国人を獲得したり、年俸を渋ったりする横浜フロントにわだかまりを持ち、最悪引退も考えていた。1999年の夏頃、権藤は球団の通訳ではなく英語を話せる自分の娘のみを同伴させて1対1でローズと腹の割った話をした。結果「権藤が監督でいる間は引退を考えないようにするよ」と権藤に全幅の信頼を置き、大活躍の下地を作った。〜
ローズがあそこまで活躍できたのは権藤さんと野球観が一致していたからでもある。ローズは権藤さんが去ると共に日本球界を去った。最終年もリーグ最多安打を記録し、打率.322の成績を挙げていたにも関わらずだ。日本の野球界にも外国人選手は多く、また日本人選手もMLBで活躍する昨今、アメリカと日本の野球観の違いを国民性で説明し、アメリカの方法論は日本では当てはまらない、とするのは拙論である。
権藤監督の時代、ベイスターズの野球は実に爽快だった。当時、私は横浜ベイスターズの公式掲示板に随分と書き込んだものだ。しかし野球ファンにも常識を知らない人も多く、例えば自分の大好きな川村の起用法が気に入らないとして、批判を執拗に繰り返していた女性がいたりして、掲示板は荒れに荒れていた。そして閉鎖されてしまった。当時、私は
Rockin'Baseball の更新にも力を入れていて、掲示板でも科学的な野球理論を展開していて、理論派として知られる存在にもなっていた。帰国してまだ数年で友人が少なかった事もあって、オフ会や野球観戦にも積極的に参加した。しかし私は他のファンとは考え方が違っていた。
99年当時、ベイスターズは爆弾を抱えていた。一部の選手が水面下でチームの方針に反旗を掲げ、権藤さんを嫌っていたのである。その中心が石井琢朗だった。そして彼から影響を受けた鈴木尚典も反・権藤派だった。鈴木はTVに出演した時もロッカールームには監督を入れずに悪口を言っている、と堂々と話していたのである。何故か?
一つに冒頭に書いたように彼らが慕っていた大矢監督が97年のオフに更迭されたという点がある。若い選手が力を伸ばし、シーズン後半の躍進で2位になった97年、彼らの多くが大矢監督の元で団結していた。シーズン終了とほぼ同時に大矢監督が更迭されたことは、彼らにとって少なからずショックだったようだ。そして1ヶ月ほど監督が決まらないでいた状況の中、権藤さんが就任した。
石井琢朗は子供の頃から巨人ファンである。優勝した98年のオフ、ベイスターズを退団したいという意向を示し、紙面を賑わした。99年にFAを取得した時は退団が決定的と伝えられた。子供の頃から好きだった巨人に行きたくて、迷っていたらしい。確かに彼は才能溢れた一流選手だ。しかし当時はまだ20代の若造だった。この若造がチームに不満を持ち、権藤野球を否定し、更に影響力を持っていた事がとても不安だった。99〜00年当時、ベイファンと会うたび、私は今のままではベイスターズはダメになると言っていた。しかし一般のファンにこんな事を言っても無駄だ。私は周りから変な奴だと言われ、否定的な事を言うな、と釘を刺された。しかし私にはベイスターズの未来が見えていたのである。
石井が嫌っていた権藤野球。まず彼が嫌ったのは練習はそれほどきつくやらず、選手の自主性に任せていたという点だったようだ。これに対しての石井の不満が大きかったのは当時のインタビューでもわかる。チームに遊んでいる選手がいると彼は訴えていた。確かにファンの目の前でスポーツカーをぶっ飛ばす戸叶や試合中、ダグアウトで煙草を吸う古木とか、ファンの目から見てもダメな選手はいた。そして監督と呼ぶな、権藤さんと呼べと言った権藤監督。石井は伝統があり、規律の厳しい巨人が好きなわけだから、そういう点も不満だったのは理解できる。作戦面でどのような不満を抱いていたかは、わからない。しかし巨人のような王道野球を理想とする石井は思い上がり、球団に真っ向から意見を言うようになる。退団さえちらつかせて。
ちなみに戸叶と石井は共に栃木県足利市出身である。シーズンオフに戸叶が地元を車でドライブしていると、石井が市内をランニングしていた場面に遭遇したそうだ。これは戸叶がエピソードとしてテレビで語っていたものだが、石井からすると自分はオフの間も体を鍛えているのに、後輩がドライブとは何事だ、と思っただろう。だからと言って放任主義の監督に反旗を翻す行為は褒められない。しかし球団の方針が監督を通じて各選手に伝わっていない、それが最大の問題なのである。
そして優勝、3位、3位と余りに短いベイスターズ黄金時代を指揮した権藤監督が去り、野球の王道を歩んできた森が就任する。森は石井にとって理想の監督だったのだろう。しかしその時、ベイスターズの崩壊が始まるのである。監督就任の1〜2年前、当時解説者だった森は権藤さんの戦略を小ばかにしていた。バントをしないなんて有り得ない、と。しかし森が就任し、権藤さんを信頼していたローズはすぐに去り、森と合わなかった谷繁は1年で去り、石井と鈴木は練習のし過ぎで故障気味になる。2002年、マシンガン打線と言われたチーム打率は.240まで落ち、そして勝率.363で断トツの最下位になった。そして今日まで、その低迷が続いている。ここ数年は身売り騒動で下手すりゃ球団消滅もありうる、などと噂される始末。10年前、私が発していた警告はファンには受け入れられなかったが、まさに的中したのである。
第2章 マネーボール
一昨日、この映画が封切られた。背景となる時代は2002年、奇しくもベイスターズの崩壊が始まった年である。私は1974年に来日したニューヨーク・メッツの試合を見に行き、そしてMLBに興味を持つようになった。当時、史上最強と言われていたアスレティクスだが、FAの導入によって資金力のあるチームが台頭してきた1990年代、スモール・フランチャイズ(はっきり言えば不人気)のオークランドA'sは、そのチーム構想をシフトせざるを得なかった。GMのビリー・ビーンが目をつけたのは、野球経験がなく、一流大学で経済学を学んだピーター・ブランド(実際にはポール・デポデスタという名前だが、ダサい役者が演じる自身に不満を持ち、映画で実名を出す事に許可を出さなかった)の選手評価理論。このマネーボール戦略によってA'sは限られた資金でリーグ優勝を続けた。その新しいチーム経営法と野球理論が本になったのは2003年の事だ。それをごく簡単に説明すると、選手の評価基準は一般的に考えられる打率や打点、勝ち星等による端的なものではなく、例えば出塁率を重視(つまり四球をどれほど選ぶか)する。派手な活躍をする選手より地味に相手を苦しませる選手を高く評価するという事である。戦略的には送りバントやリスクの高い盗塁はしない。相手がバントをしたら無理はせずに1塁に送球し、確実に打者走者でアウトを取る・・などなどである。
これらの戦略はA'sが来日した2008年、選手自らインタビューで語っている。これを森のような日本の王道野球信者が聞いたらどう思うだろう。もちろん権藤さんに対する解説のように真っ向から否定するだろう。問題はそこなのである。
この映画は野球を真剣に分析しているファンなら見る必要がある。映画の中でいかにビーンの自論が周囲の球団関係者に奇異に映ったか・・・。しかしそれを実践したA'sが金で選手を集めたヤンキースなどと対等に戦えた。何故ならMLBでも野球の専門家や関係者の頭は古い理論で埋め尽くされていたからである。それが日本になるともっと酷い。
まずは送りバントから考察してみる。日本人はバント好きである。自己犠牲でチームに貢献するという姿勢が国民性にそぐうからであろう。しかしこれとてアメリカで開発された戦略である。MLBでは犠牲バントが用いられるケースはほぼ決まっている。主に1点を取るのが意味を持つゲーム後半である。もちろん投手戦ならば中盤でも用いる。ところが、日本では初回からこれをやる。初回というのはゲームがどのように推移するか、全くわからず、ピッチャーの出来次第で大量得点を取り、試合を優位にできるスタート地点である。そこでわざわざ1アウトを献上する、というのはメジャーでは考えられない。マネーボール理論を用いるなら100%有り得ないのである。
ところが日本ではこれを平気でやる。またそれで成功するケースもある。日本ハムを優勝に導いたヒルマン監督も就任当初はバントをあまりしなかった。しかし周りから説得され、バントを多用するようになり、優勝できた。しかしこれにはある要素を顧慮する必要がある。まずはダルビッシュを中心とする安定した投手陣があり、そして札幌ドームという広い球場が味方する。つまりあまり得点が入らない展開が多い、という事である。これは中日やヤクルトにも当てはまる。しかし横浜には当てはまらない。何故か?球場の特性である。
横浜スタジアムを使用するようになってすでに30年が経過。その間、ホエールズ〜ベイスターズのチーム防御率が3.50以下だった年は一度しかない。優勝した98年の3.49の一度だけである。中日はナゴヤドーム以降、3.50以下だった年が15年間で8回ある。コーチが良いから、スカウトが良いから、という話ではないだろう。横浜もコーチやスカウトを何度替えても同じ結果なのである。横浜スタジアムは点が入りやすい球場だから、そう考えるのが当たり前なのだが、古い考えで凝り固まったフロントはそうは考えないのである。だから無駄な補強をする。こうした球場の特性を考える事ができるのなら、初回バントなんて有り得ない。
2010年、尾花監督が就任して数試合見て、すぐに諦めた。この監督じゃ勝てる訳がないのである。mixiなどにも書き込んだが相変わらず賛同は得られない。というか、どう考えても野球を知らない素人が子供のような反論をして終わりだ。だから今じゃ掲示板にも書かない。
マネーボールに話を戻すが、この理論も、もはや古いものである。すでにA'sもマネーボールから脱皮している。何故なら本の出版によりその理論が他チームに知れ渡り、効力を持たなくなったからである。映画にあるようにバントしない、盗塁しない、打席ではじっくり選球する、というマネーボールだが、それでは勝てなくなってきた。これも当たり前である。何故なら相手に戦略を教えてしまったから。バントをしないのなら守備体型を後方にし、野手の間を抜くヒットを防げるし、盗塁を警戒することもない。選球するという事は同時に初球のストライクには手を出さない、という事だからどんどんストライクを取りに行けばいい、という防御策が練られる。2年ほど前からバントも盗塁もやるようになってきた現在のA'sは、本が出版された当時のマネーボールのチームではない。一方、こうした理論を取り入れたレッドソックスなどがチーム構築に成功し、マネーボールの恩恵を得てしまった。至上最年少28歳で野球経験なしのGMエプスタインは、セイバーメトリックスを用いてソックスを世界一に導いたのである。
尾花監督の情けない点は、このマネーボールを中途半端に真似し、出塁率の高い選手を起用したりするのだが、それが効果的ではない事だ。下園は選球眼が良く四球が多い。それと同時に見逃し三振も多い。また彼が出塁しても送りバントでアウトを献上し、後続が凡退で点を取れず・・・これを2年間繰り返したのである。
日本の野球関係者の考えには頭をかしげることが多い。打率.250の選手に関して、この選手が.280くらい打てばもっとチームも浮上しますね、などといったとんでもない解説がまかり通る。打率3分の違いがそんなに大きいわけがない。例えば打率.250の選手と.300の選手では、大きな差があるように扱われる。実際には20打数で6安打か、5安打か、その1本の差しかないのだ。1試合4打数として考えると5試合で1本多いだけである。問題はその1本が得点に結びつくかどうか、である。正直、安打が少なくても四球を一つ選んだだけでも同じ貢献度だ。打率は重視されるべきではない。
得点圏打率というのはアメリカでは長年、取り入られてきた。しかしこれも数字を鵜呑みにしてはいけない。通常、得点圏打率が高いのは1番打者である。まず第1打席で得点圏はない。つまり相手ピッチャーと最初に対戦する時は、得点圏打率に影響の出ない場面になる。1番バッターが得点圏で打席に入るのは下位の打者が出塁した時で、すでに相手ピッチャーがくたびれてきているケースが多いのである。例えば98年、マシンガン打線で得点圏打率1位は石井琢朗(.360)。ローズと鈴木尚典が.337で後の選手は2割台である。また日本では併殺をすると流れが変わるとか、非科学的な事を言う専門家がいる。再び98年の例だが、ローズはこの年25併殺打でリーグトップだった。
考え方として攻撃は最大の防御である、というアグレッシブな野球か、相手にアウトを献上しても1点を取って逃げ切るというパッシブな野球か、その差であろう。どちらも否定は出来ないが、大事なのはチームの構成、球場の特性などを考慮して作戦を立てる事である。ベイスターズの場合、この2年の問題は尾花を監督に起用した事である。彼は理想の野球とは1対0というような、最少得点で逃げ切って勝つ事だと公言している。横浜スタジアムでは、そうした理想の野球ができない事が最後まで分からなかったようだ。MLBでは就任前に必ず、監督候補者と球団(つまりGM)との面接がある。そこでGMのチーム作りと監督の意向が一致するか、その確認がある。何故、尾花が横浜の監督に起用されたか、その理由が投手陣の立て直しというものだったことは容易に想像できる。驚くほど、ど素人の考え方だ。巨人や阪神のように資金力があり、FA等で選手を容易に獲得できるチームはまだそれでも良いが・・。
映画は封切られたばかりだが、戦略的にはすでにマネーボールは過去の産物である。選手の評価基準には関してはまだまだ当てはまるではあろうが、その全てをベイスターズが真似ても、うまくはいかないだろう。しかしベイスターズには資金力を頼りにしないチーム構想が必要であり、マネーボールにそのヒントが隠されているのは間違いない。
第3章 横浜DeNAベイスターズ
マネーボールの映画公開と時期を同じくしてベイスターズが生まれ変わる。冒頭にも書いたが私は子供の頃から、年代で言うと1972年以来のホエールズ(ベイスターズ)ファンである。MLBに関しては1975年頃からシンシナティ・レッズのファンだった。基本的にナショナル・リーグのファンだったのだが、ピート・ローズの球界追放やオーナーの問題等でレッズファンを辞め、今はアメリカン・リーグを主体に見る。実は1973年当時、ユニフォームがホエールズとA'sは似ており、A'sも好きだったのだ。しかし時代が変わり、A'sのチーム作りと私自身の野球観が一致しているという理由で、ここ10数年ほどはA'sに注目してきた。アメリカに15年近く住んだのでアメリカの文化を知るためにも、英語の勉強のためにもMLBを熱心に見てきた。また統計や理論がモノを言う野球にはとても魅かれる。その結果、玄人並みの野球理論を展開するようになった。いや、実際に若い頃はプレーもしていて、甲子園に行きたかったから学校も野球の強い学校に進学したほどである。しかし体が恵まれていなかったから高校時代は硬式野球部には所属せず、自ら軟式野球チームを作り、監督も務めた。多少だが実戦経験もあるのである。
またA'sのGM、ビリー・ビーンとは同世代(ついでに言えば彼の役を務めたブラッド・ピットとも同じ年齢)であり、彼が言い出したからではなく、自分なりの野球理論を持っていて、それがマネーボールと一致する点が多かったのである。
ベイスターズはDeNAという企業(モバゲーとか全く知識がないので、今まで聞いたこともない企業名だった)に買収され、新しくなる。まずは尾花を更迭してくれる、これだけでもホッとした。40代の若いオーナーがチームを変えてくれるだろうという期待が持てる。早速、高田繁氏にGMを依頼し、チームを作り変える。その時期に映画マネーボールが公開され、低予算で効率的に戦うというその戦略に再び注目が集まる事になった。
監督が誰になるか、まだ未定である。佐々木、長谷川、桑田らのメジャー経験者が候補として挙がっているのに期待が持てる。特に面白いのは新庄。記事によると彼が監督になったら、過去10試合だか5試合だかの打率の良い順番で打線を組む、とか言ったそうである。仰天プランとして面白い記事だが、理に叶っていないわけではない。尾花のように4番は村田で固定、なんていう考え方の方がバカバカしい。新庄もメジャーでプレーし、実はバレンタイン監督率いるメッツで4番に抜擢された事もある。ロッテで指揮したバレンタインはメジャーでも一流監督だが、彼の打線の組み方は日本で言うと奇抜である。ロッテ時代もサブローの4番起用とか、日替わり打線とも称された。
また4番を攻撃の重鎮と考えるのは日本では当たり前かもしれないが、アメリカでは3番最強説が一般的だ。今年、世界一となったカーディナルスの主砲プーホルズも3番だったし、かつて本塁記録を塗り替え続けたバリー・ボンズも3番を打っていた。村田など「勝っても負けても4番の責任だ」などと訳の分からない事を言ってるから、得点圏打率1割台という体たらくに陥るのである。またメジャーでは長距離打者を2番に据えたりもする。今年のヤンキース、チームトップの41本塁打のグランダーソンの打順は大体が2番だった。
新庄が監督になれば確かに奇想天外な打順を組みそうだ。それでも尾花よりもましだろう、と思う。問題は人間的な部分だろうが(それを考えると監督はできないかもしれない)。
またベイスターズの来年以降が楽しみなのは、潜在力を持った若い選手が多くいるからだ。筒香が注目されているが、彼はとんでもない逸材だ。またレギュラーの石川、下園に加え、荒波、藤田など楽しみな選手がいる。更に楽しみなのは投手陣だ。台頭してきた高崎以外にも、藤江、ダブル小林、加賀、須賀、加賀美、大原、眞下、小杉、佐藤、国吉など才能がひしめいている。どのピッチャーも急速な進化をする可能性がある。山口・牛田の救援陣には問題はない。打線がしっかり点を取る事ができれば彼らも実力を発揮できるだろう。三浦、清水、大家らベテランの力はもはや必要ではない。出来れば村田残留が良いが、彼が去っても一人(外国人でいいから)大砲が獲得できれば問題はない。強いチームができる要素はあるのである。後はGMと球団幹部がどのような構想でチーム作りを進め、それに答える事ができる監督が采配を振るうか、にかかってくる。4年連続勝率3割台の断トツ最下位。野球史上に汚点を残す最低のチームとなった横浜ベイスターズだが、初回からバントをしないだけでも4割は勝てると思う。うまく行けば4割5分か。そこに何らかの大きな要素(大活躍する選手が一人でも)が絡めば上位3位に食い込む事はできる戦力を持っている。
映画「マネーボール」を見て欲しい。そして700円で買えるプログラムも必読だ。特に「月刊Slugger」編集部の久保田市朗氏の書いたコラムは重要だ。送りバントの成功によって逆に得点できる可能性が少なくなる事を、数字によって明確に説明している。ピッチングに関する統計も日本の野球人が言う事と、反対のデータが示されている。日本のプロ野球中継を見ていると、元プロ選手の解説者の言っている事は非科学的で、殆ど迷信に近いと感じざるを得ない。接戦ではエラーした方が負けなどと言うが事実無根である。今日本シリーズの初戦、1対1で迎えた9回に中日の荒木はエラーをするが、延長戦を制したのは中日だった。教訓としては成り立つが、データを見ればそれが言い伝えに過ぎない事は証明できる。
MLBの解説はとても的を得ている。理論的で科学的で心理学的である(それがアメリカなのだが)。MLB関係者、経験者を取り込むか、否か、という問題ではなく、まずは「古いしきたり」や「言い伝え」を捨ててゆくべきであろう。横浜DeNAベイスターズの改革はそこから始まるであろう。
追加記事
2013年8月 DeNAベイスターズ8連敗の要因とは?
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